新型コロナウイルスよりも恐れるべきもの

こんにちは、HIDEです。

野党の仕事は「政権批判」ではありません。ですが、歴代の日本の野党はまさに「政権批判」が”お仕事”だったように思います。

民主主義における野党の役割は政権を「監視」し、暴走を食い止めるとともに、異なる意見の受け皿として、有権者に「選択肢」を用意することです。その意味で、現在の野党は「野党」ですらありません。

与党の揚げ足をとること、政策ではなく、国民受けする”ネタ”を週刊誌のように探すことに一生懸命で、この国難の真っただ中でも「桜」満開で国会に臨みます。これでは、仮に政権交代できたとしても、かつての民主党政権と同様に政権担当能力のなさを露呈し、日本国を弱体化させるだけでしょう。さらに、悲しいことにはそれらの野党に共鳴する国民が少なからずいることです。

例えば、「#安倍やめろ」がTwitterの検索ワードで上位をキープしたりします。政権交代は民主主義を健全に機能させるために必要な手続きだと思いますが、いまが、そのときでしょうか?政治的信条はともかくとして、いま、政権交代して、政治的空白を作ることは我が国に致命傷を与えかねないことがわからない、そんな有権者が少なからずいることが、この国の現実です。

なぜ、こんなことになってしまったのでしょう?

それは、本来の意味での野党が不在だったことにより、自民党の超長期政権が一時の例外を除いて続いてしまったことにより、国民も野党も”今の安定した社会システム”に対する危機感が薄くなってしまったからです。自分たちが何を主張しても、現在の安定した社会(システム)は変わらない。という意識が根底にあるからです。それは反抗期の中学生の姿に似ています。

一生懸命、親を非難、否定しても、本気で、その庇護から抜け出そうとはしません。彼らにとって「非難」「否定」することこそ目的であり、本当に親がいなくなっては困ることを無意識に理解しているからです。例外的に何かの間違いで、「家出」してしまった。それが、かつての「細川政権」であり、「民主党政権」です。もちろん、慌てて「親元」(自民党)に帰って来ました。

だから、コロナウイルスの感染が世界的に拡大しているこの時期でも、”安心”して「桜」の追求や、役人の不倫の追求に国会審議の時間を使ったりできてしまうのです。

コロナウイルスの問題はこれから、更に深刻化します。仮にウイルス感染が数か月で収まっても、経済的なダメージはさらに数年以上にわたって継続し、個々に報道されることもなく、社会を蝕んでいきます。そして、それは、ウイルスによる被害よりもはるかに大きなものになるでしょう。

この時こそ健全な「野党」が最も必要とされる時です。本気で政権交代できる、理念と人材を備えた「野党」に期待します。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です